北アイルランド留学日記

2020年10月3日、コロナ禍のなかで渡航して、語学留学をした記録です。

ブレイクスルー

 そろそろ授業も終盤です。明日締め切りの、リサーチエッセイやそのたの書類を早々と提出しました。明日からは試験が4日間あって、それで終了です。たぶん、スコアは悪くないと思うので、「朝ちゃんと起きる」ことだけが目標です。

 あっという間に9週間が終わるところなのですが、やっぱり「自分の英語力は伸びたのだろうか」という不安はありました。ロックダウンでほとんどがオンライン授業でしたし、後半正直、疲れが出たり、飽きたりしたのもあって、身が入っているとは言えない状況でした。最低限の課題だけクリアしているにすぎないという気持ちもありました。1月には日本でIELTSを受験予定で、「伸び」はその結果である程度は判定できそうです。

 と言いつつ、今日は大きなブレイクスルーがありました。今日は欠席届を出して、仕事関係のオンラインのセミナーに出ました。語学学校の授業での会話は慣れてきたものの、やはり仕事だと思うと、英語を話すのはいつの不安です。今朝も起きてから気が重くて、なかなかラップトップに向かえませんでした。

 ところが、私は今日のセミナーでびっくりするくらい喋れてしまいました。ひとつはそこで行ったワークが自分に合っていたこと、もうひとつは司会をした方が、とてもファシリテーションがうまかったこと。そのことで、気がついたら私はベラベラと話していました。

 私はもともと、英語を話すのに遠慮をするほうではありません。初心者の頃から、間違っていても何か喋ってみるタイプです。それでも、ここ1年ほどはレベルアップを目指して、「正しく話す」「礼儀正しく話す」ことを心がけるようになりました。そうすると逆に緊張して喋れないという状況に陥っていました。私は自分の中の劣等感として「永遠に中級」という気持ちがあります。これはカラオケで「音が外れるのはわかっているが、直せない」ような状況で、周囲は「十分喋れてるよ」と言ってくれますが、精神的には辛いものです。この段階をどうやって抜け出せるのだろうか、と苦闘してきました。

 それが、今日、「あ、こうすればいいのか」とよくわかりました。以前はリラックスしていても英語が話せませんでした。なぜなら、スキルがないからです。でも、ここ10年ほど、仕事で英語の資料を読み、単語を覚え、シャドーイングをして、途切れ途切れながらもオンライン英会話でスピーキングをしてきました。胸を張って「頑張った」と言えるほどの勉強量ではありませんが、ずっと続けてくるなかで、確実にスキルは身についていたようです。だから、リラックスするとそれが発揮できます。そうすれば私は英語が話せるのです。

 当たり前のことだし、私も他人のことなら、すぐに理解できると思います。でも、自分のことになると、「やってもやっても、全く英語がうまくならない」という沼のような苦しい気持ちに襲われました。それが「ああ、やったぶんは、やっただけできるようになるんだ」と、今日、心の底から思いました。(同時に「やってないぶんは、できないぞ!」とも思いました)

 この経験が、どれくらいこの9週間と繋がっているのかはわかりません。でも、毎日、画面に向かってではあっても、1日に最低3時間は英語で授業を受け、積極的に発言してきたのですから、結果が「無」であることはないでしょう。

 語学学校自体の経験ではないのですが、今日のブレイクスルーは大きかったなあ、と思います。「わたし、喋れるやん」という素朴な気持ち。これを忘れなければ、これからも上級を目指して頑張っていけるのではないか、と希望を持ちました。

ロックダウン開始

 今日からベルファストは、より厳しいロックダウンに入ります。食料品店などのエッセンシャルな小売店以外はクローズド。レストランやパブはテイクアウェイのみの営業になります。

 ここ2週間ほどブログの更新もしていませんでしたが、学校の課題をやって、テレビをみて、淡々とした日常を過ごしていました。いろいろと大変だった頃の方は、気持ちの整理したいのもあって、ブログを書いていたのですが、生活に慣れてしまうと、なかなか更新のモチベーションは上がりませんね。授業で面白いこともたくさんあったのですが、夜はだらだらしていました。

 先週末はエニスキレンというアイルランド共和国との境界あたりの街に、一泊旅行にいっていたのでせめてそれくらいは書きたいのですが。(今週末も、課題をやったり、日本から連絡のきた仕事をしたりせねばなりません)

 もう授業も8週間が終わりました。先生たちは目を三角にして、「もう来週が最後です。そのあとはテストをして終わり。課題を提出しないと、このコースは脱落しますよ」と学生に言っています。私は今のコースでは優等生なのできちんと提出さえすれば問題なさそうです。

 ロックダウンとは言え、来週は3回も対面授業があります。いよいよラストスパートです。

 

キャッスル・クール(Castle Coole)

 翌日はエニスキレンの近くにあるナショナル・トラストのキャッスル・クールを散歩しました。秋晴れの朝の散歩です。

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 キャッスル・クールはいくつかルートがあったのですが、私は湖にいく道を選びました。静かな湖畔にベンチがあって、映画のワンシーンのようでした。

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 湖はひとけがなくて、一人でいるとちょっと寂しくなるくらいです。太陽が雲に隠れると、いんきな雰囲気すらして、タルコフスキーの『僕の村は戦場だった』の少年が湖入っていく場面を思い出してしまいました。でも実際には平和な湖で、家族連れも散歩しています。

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 前にも書きましたが、英国やアイルランドの散歩は、くまが出ないというのが一番ありがたいですね。私は日本でもぶらぶらと国立公園を歩くのが好きですが、「くまに注意」と書いてあると震え上がりますし、北海道でも「ヒグマ出没」の看板を見て何度も青ざめました。とはいっても、グレートブリテン島でクマを絶滅させたのは人間なので、それでいいのかという疑問もありますが、人旅の散歩好きには、実際問題助かる話です。*1

*1:なお、私はクマが嫌いなのではなく、むしろ好きで、知床に行ってガイドさんに連れられていったミニツアーで、一度野生のヒグマを見ました。遠くで泳いでました。でも遭遇はしたくありませんね。

エニスキレン(Enniskillen)

 束の間のロックダウン解除の間に、北アイルランドアイルランド共和国の境目にあるエニスキレンという小さな街に遊びに行ってきました。長距離バスで2時間半ほどの場所にあります。久しぶりの旅行が嬉しくて、長距離バスに乗るだけで楽しくなってしまいました。

 バスから降りた瞬間に「EUだ!」と思ってしまいました。ここは、もうほとんど共和国側の文化だろうと思います。何が違うのでしょうね。お店の雰囲気かな。街で人気のサンドイッチ屋さんの行列に並び、中で食事をしました。

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 チキンのサンドイッチ。とっても美味しかったです。 ブルーチーズのサンドイッチもあったらしく、そっちでも良かったなあ、とあとで思いました。隣のテーブルのおじさんが美味しそうな何かを食べていて気になりました。ラザニアかな?店員さんはとても親切で、私がうまく英語が聞き取れなくても、何度も説明してくれて、納得いくメニュー選びをさせてくれました。こういうのは、英語ビギナーには本当にありがたいです。

 エニスキレン城を歩きました。ここは、普段は中が博物館ですがお休み。

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 遊歩道になっているのでぶらぶらと歩きます。白鳥のオブジェを発見。

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 風は冷たいですが、雲から太陽が顔を出すと青い空が湖に反射してきれいでした。夏場はエニスキレンからは、船が出ていて島に渡れます。ケルトの遺跡などがあるらしいのですが、11月はもうお休みでした。船着場では女性が鳥に餌をやっていました。

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 鳥たちは餌付けされていて、私が近づこうとすると白鳥が突進してきました。奈良公園の鹿のようなものでしょうか。ちょっと怖かったです。

 中心部から少し離れたところにあるホテルに移動します。近くに丘があったので登ってみました。

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 露出のコントロールが下手であまり雰囲気が映らないのですが、ヨーロッパのあちこちのこういう風景が心にはやたら焼き付いています。秋の夕暮れで、美しいけれど静かで、自分は中に入っては行けないような疎外感とともに、叙情的で泣きたくなるような光景です。異邦人。逆に、海外から日本にきた人は農村を見て同じように寂しさと美のようなものを味わったりするのかもしれないと思います。以前、近鉄奈良線で電車の窓に張り付いて田んぼの写真を撮っていた海外からの観光客がいましたが、似た気持ちでしょうか。

 夕食はテスコに買いに行きました。驚いたのは、ヴィーガン向けのフードが充実していたことです。ベルファストのテスコと全く品揃えが違います。あちこちに「V」のマークがついていますし、ソイミートもフロアの一角を占めています。私自身は、ヴィーガンベジタリアンではないのですが、興味があり、ベルギーやフランスのスーパーにはたくさん売っているのを見ていました。また、ロンドンでもよく見かけます。しかし、ベルファストではあまり力を入れているように見えなかったのですが……。エニスキレンがEUに近接しており、文化的にも近いという影響もあるのかもしれないと思います。

 エニスキレンの街を歩いていると、なぜかスイッチが入って(EUスイッチ?)来年の春から就労予定の都市で家を探して、さくっと契約してしまいました。実はずっと家探しをしていたのですが、自分がいいと思える場所がなくて難渋していました。その都市は家賃がロンドン並みに高く、中心部に住むとなると狭く設備の悪いワンルームでも月に20万円を超える状況です。しかし、エニスキレンのような小さな街にいると「郊外の住宅地で生活してみたいなあ」と思い、その都市でも検索する地域を少し広げると、自分の好みにぴったりの物件が出ていました。それで、思い切りました。実物は来年、渡航してみないとわかりませんが、これで、実際に気に入った家に住めたら、エニスキレンのおかげですね。

アクティブ・リーディングの技法

 今日の授業では、アクティブリーディングの技法として、「SQ3R」というメソッドを習いました。これはSurvey, Question, Read Recall, Reviewという5ステップで論文を読み進めるものです。最初に論文のタイトルやアブストラクト、見出しなどを確認し、自分の考えたいトピックに関連しているかチェックします。次に、自分のトピックへの疑問点を照らし合わせて、内容を見ていきます。さらに、内容のキーワードを探し、自分の課題に使えるかどうか考えながら読みます。加えて自分なりに内容を振り返り、細かい部分を確認します。最後に、自分の疑問点を考え、資料として使えるかどうかを判断します。

 こうした作業は私は無意識にいつもやっているのですが、言語化されると「なるほど」と思いました。特に仕事の後輩が、大量の資料を前にして「勉強しないといけないけど、なかなか進まなくて」と言っているのを見て、「漠然と勉強するんじゃなくて、もっと自分に関連づけて読んでいかないとキリがないよ」ともどかしい気持ちになっていました。しかし、後輩にしてみれば「どうすればいいのだろう」と余計に困らせていたように思います。

 実際の授業では、短い論説文を使って実際にアクティブリーディングをやっていく演習が行われました。こういう方法は、「できる人はできる」けれど、教えてくれる場がもっとあってもいいなあと思いました。ただ、あまりにも技法に焦点を当てると、小器用にそればかり上手くなって、肝心の自分の思考が進まなくなるタイプの人もいるので、これに特化してもよくないとは思いますが……。このあたり、難しいと思います。

「安全な授業」とは?

 オンライン上のやり取りで、日本の仕事に関する人間関係で、ちょっとしたトラブルが発生して「安全とはなにか」について考える機会がありました。

 実は「心理的安全」という言葉はいま、トレンドでもあって、一般企業でも、働いている人たちが「ここは安全な場だ」と思うことで、良いパフォーマンスを発揮すると言われています。つまり、職場のマネジメントとしても注目されているということです。

 ちょうど、語学学校のオンラインの教材でも、教育の場で心理的安全を確保することの重要性について述べるレクチャーが使われていました。講師によると、人間の脳は「学習モード」と「サバイバルモード」があります。学習モードの脳は、丘の上から下に広がる森を眺めているような状態です。新しい情報を受け止め、内容が曖昧であってもそのまま理解しようとします。他方、つらい経験をしてトラウマを負った脳は、サバイバルモードに入り、相手に攻撃されないか不安でいっぱいです。これは森の中をさまよって、丘へ上がる道を探しているような状態です。自分が情報を間違えて受け止めていないか不安であり、答えに白黒をつけたがります。このサバイバルモードに入った脳が、学習しようとするのは大きな岩を背負って坂道を登るようなもので、苦痛に満ち、常に失敗して傾斜を滑り落ちます。こうして失敗経験を積み重ねて、どんどんサバイバルモードは強化されていきます。そのため、新しい学習には、自分のことを理解してくれると感じている他者に囲まれ、安全だと感じていることが大事だという話でした。

 これは、もう「学習」というものを経験したすべての人が「あ、あれのことだ!」と思い出す話ではないでしょうか。特に、日本の教育は厳しく生徒・学生を糾弾することがあり、脳がサバイバルモードに入りやすくなっています。また、私から見ると、教員の側がサバイバルモードしか知らないので、大きな岩を背負って苦しんでいないと、生徒・学生が努力していないとみなすことすらあります。でも、それは非効率的な学習です。

 さらに難しいのは、学習者がサバイバルモードに入るのは教員の問題だけではないことです。私自身、英語の学習についてはサバイバルモードが強く出ます。これは、英語と関係ない個人的な事情によるトラウマの影響もあります。教員のちょっとした言葉でサバイバルモードのスイッチが入りやすくなっています。しかも、困ったことに私はそのことに自覚があるので、サバイバルモードに入ってしまった自分を責めたり、なんとか自分で学習モードに切り替えようと悪戦苦闘します。そのことで逆に緊張が強まり、どんどん不安は増し、悪循環に陥っていきます。

 逆にいえば、教員の側からみてサバイバルモードに入った学習者にどう接するのかも非常に難しい問題だと思います。自分のことを考えても「どうして欲しい」というのは思いつきません。

 と、思ったのですが、私は今受けているGの授業ではほとんど不安も緊張もありません。そのせいか、英文を書くことに抵抗もなくなってきましたし、スピーキングも(オンラインには限りますが)なめらかになってきました。上手に学習モードに入っているといえます。なぜ、こんなことが起きたのだろう?とぼんやりと授業を眺めていました。

 まず気づいたことはGは、本当に儀式的に何度も何度も「ここまでは質問はありませんか」「質問がある場合はマイクのミュートを解除してください」と問いかけるということです。90分の授業で5回から10回は尋ねます。こちらが「質問してもいいことはもうわかっているだろう」と思ってもまた聞きます。これは少し不思議な方法で、だんだんとGの決まり文句が呪文のように聞こえてきます。いつの間にかこちらも「今のはわからなかったから、次にGが聞いてくれた時に質問しよう」と習慣化します。実は呪術的な方法かもしれない、と私は最近、思うようになりました。

 もう一つは、Gが課題を出せなかった学生に何度も語りかけることです。「もし、課題を出せなかった場合はゼロです」「助けが必要ならば言ってください」「先生がブチ切れて怒ってる?そんなことはありません」「課題ができてないどうしよう、とパニックにならないで。深呼吸をして相談してください。一緒に進めていきましょう」と、当該の学生は指名せず、全体に語りかけます。私は日本でずっと過ごしていましたから、強迫的に「締め切りまでにはすべて課題は揃えて、心配だから早めに送信しておこう」と思い、すべての課題は提出済みです。しかし、Gが語りかけているのを聞いていると「そんなに思いつめなくていいんだなあ」と気が楽になります。そうすると、課題を進めていても手が速く進みますし、最短距離で仕上げるのではなく、「こういうこともやってみようかな」という挑戦もできるようになります。自分から難しいことをやってみようと思えるのです。

 私はここに来る前から、教育について「できない人をそのまま大切にすることで、できる人も伸びていく」という仮説を立てていました。できない人に対して、手厚くケアをして、ハードルを下げると、できる人のモチベーションが下がるのではないかという心配が、教員の中には常にあります。でも、できる人は「ここはできなくてもいい場だ」と思うと、逆に失敗を恐れずもっと難しいことにチャレンジしていくのではないかと思ったのです。

 今回、Gの授業では自分が立てた仮説を、経験的に実証したような気持ちです。しかし同時に、Gのような手厚いケアは、今いる語学学校のように学費が高めで、学生数が少なく、スタッフがみんなプロフェッショナルという恵まれた環境でのみ機能するのだろうとも思います。また、はたしてGの方法で最後まで私も含めて、学生のモチベーションは保たれるのか気になるところです。これから試験に向けて課題を仕上げていく段階に入っていきますが、牧歌的なGのやり方で対応できるのか。後半がどうなるか気になるところです。

対面授業再開!

 3週間ぶりに、対面授業が再開されました。今回のロックダウンでは、大学及び各種学校は「必要最低限の授業」のみが対面で行うことが許されています。INTO(語学学校)のスタッフは、大学側と対面授業再開に向けて交渉してきたようですが、ついに一部再開です。

 私は対面授業に特化したクラスから、Gの担当する上級クラスに移動したのですが、こちらのクラスの学生も、次々とベルファストに来ています。まだ2週間の自己隔離中で寮で待機している学生もいますが、最終週までにはほとんどがこちらに滞在する予定のようです。そういうわけで、私のいるクラスも月曜日の1コマだけ対面授業が設けられました。今度もできる限り増やしていく予定だそうです。

 なんだか私は久しぶりの対面授業で緊張していました。ふだんのオンライン授業では、teamsの字幕機能を使うことを許されているので、かなりそれに頼っていました。でも、対面授業は当然、リスニングのみ。しかも、Gも、前のクラスにいる時よりも数段速いスピードでは話します。そのうえ、他の学生も前のクラスに比べると格段にリスニング力があり、私は一気に緊張してしまいました。そして、うまく喋れない……。

 私は自分の語学力が、こうもメンタル面に左右されることを思い知らされました。緊張することで、リスニングでもスピーキングでも固くなって、「聞けない」「話せない」状態に陥って、焦って余計にわからなくなります。さすがに慣れてはいるので、ゆっくり喋ったり、間違いだらけでもフランクに喋ったりして、沈黙することはないのですが、「質問がくるぞ」と思うと途端に気持ちが張り詰めます。

 でも、こっちが実力だよなあ、と改めて思いました。対面でも落ち着いて、自分のペースで話したり聞いたりして、わからないことは質問していけばいいのです。来週はもっと落ち着いてやりたいところ。

 明日からはまたオンライン授業です。もう6週間目で授業も後半に入ってきましたから、少しでも英語力を伸ばして終了まで頑張りたいです。